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名古屋簡易裁判所 昭和43年(ろ)336号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は「被告人は、自動車の運転業務に従事するものであるが、昭和四二年一二月四日午前三時二〇分ころ、営業用普通乗用自動車に乗客茂在雄二(当三七年)を乗せて運転し、名古屋市昭和区阿由知通四丁目一番地先道路の通称御器所交差点を南進通過するに際し、前方の信号が青色になつた直後であつたのに前方左右を注視して進路を遮る車両の有無を確認し、安全を確かめて進行すべき業務上の注意義務を怠り、時速約五〇キロメートルで漫然進行した過失により、折から同交差点へ西進してきた二村靖章(当二二年)運転の普通乗用自動車に気付かず、その前部に自車左側後部を激突させ、よつて、(一)右茂在を翌五日午前八時ころ、同区東郊通七の二高橋病院において、脳挫傷のため死に至らしめ、(二)右二村に対し、全治約二〇日間を要する右前頭、右顔擦過挫傷、右手腕、手部、右大腿部左膝部擦過挫傷を負わせたものである」というにある。

そこで、〈証拠〉を総合すると、

(一)  被告人は、つばめタクシーに勤務し、自動車の運転業務に従事するものであること。

(二)  公訴事実記載の日時ころ、営業用普通乗用自動車(名古屋五く五八一五号)を運転し、乗客茂在雄二(当三七年)を乗せて、大久手方面から桜山方面に向い、南北に通ずる道路(以下南北道路という)の南行車道西寄りを前照灯を下向きにして時速約五〇キロメートルで南進し、東西に通ずる道路(以下東西道路という)とほぼ十字形に交わる、交通整理の行なわれている公訴事実記載の交差点(以下本件交差点という)にさしかかり、これを直進しようと対面信号をみたところ、赤色を表示していたが、間もなく青色に変わるだろうと予想して約四五キロメートルの時速に減速し、本件交差点北側横断歩道北端の手前約23.3メートルの地点にきたとき、予想どおり青色に変わつたので再び時速を約五〇キロメートルに加速して本件交差点に進入し、該横断歩道北端から約32.6メートル該交差点内に進行した地点で、左方から赤信号を無視して該交差点に進入してきた二村靖章運転の普通乗用自動車前部と自車左側後部が衝突したこと。

(三)  この衝突による衝撃により、公訴事実記載のとおり、茂在が脳挫傷のため死亡し、二村が全治約二〇日間を要する右前頭、右顔擦過挫傷等の傷害を負つたこと。

(四)  被告人は本件交差点に進入する際、東西道路から該交差点に進入しようとする車両があつても、該車両は赤色信号に従い、いずれもその東側または西側の各横断歩道の手前で停止してくれるものと思い、特に左右を注視せず交通の安全を確認しなかつたこと、および二村の車両が交差点に進入してきたのを衝突直前まで気付かなかつたこと。

(五)  二村は、東西道路の西行車道を前照灯を下向きにし、時速約五〇キロメートルで西進して本件交差点にさしかかつたところ、対面信号が赤色を表示しているのに、深夜のことだから南北道路から進入してくる車両はないだろうと考え、停止せずそのままの速度で交差点内に進入し、その東側横断歩道東端から約22.1メートル進行した交差点内の地点で、被告人の車両と衝突したがその直前に至るまでそれに気付かなかつたこと。

(六)  本件交差点の当時の状況は、照明設備が不充分のうえ深夜のこととて沿道の商店は殆んど閉店していたため比較的暗らく、交通量は閑散であつたが、両道路を強いて比較すれば東西道路の方がやや多かつた。信号機は両道路に対し交互に赤色四〇秒、青色三四秒、黄色六秒のサイクルで正常に作動していたこと、なお南行車道を進行する車両が、その北側横断歩道北側西寄りの地点から左方道路をみた場合、昼間時において、その東側横断歩道の東南端から東方約29.7メートルの地点まで見透し可能であつたから、夜間においても西行車道を通行する車両の光芒についてはほぼ同様のことが推測されること。

以上の事実を認めることができる。

ここで、右事故が被告人の「前方の信号が青色になつた直後であつたから、前方左右を注視して進路を遮る車両の有無を確認し安全を確かめて進行すべき注意義務」を怠つて進行した過失によるものであるかどうか検討してみるに、

前掲各証拠(医師作成の各診断書謄本を除く)によれば、被告人と二村は略々同一速度で進行していたものと認められるので、衝突地点から各地点を逆算すれば、被告人が本件交差点に進入する際、その北側横断歩道北端の地点で左方道路を注視していたならば、二村の車両は交差点東側横断歩道東端より約10.5メートル東方の西行車道上を自車の進路に向つて進行していたことになるのでこれを発見できたものと認められる。従つて被告人が本件交差点に進入するとき、直ちにこれとの衝突を避けるため適切な措置を講じておれば、本件の事故は発生しなかつたであろうことが一応認められないこともない。

しかしながら、被告人は前記認定のとおり、交差点北側横断歩道北端の手前約23.3メートルの地点で、対面信号が赤色から青色の表示に変わつたことを確認して進行したものであり、何ら交通法規に違反しておらず、また、交差点に進入した時点において東西道路から交差点内にすでに進入している車両や、その東側横断歩道附近にあつてまさに進入しようとしている車両があつたこと等、いわゆる具体的な危険が予見されるような特別の事情があつたことを認めるに足る証拠がなく、従つて、二村の車両を前記地点で発見していたとしても、そのような車両は赤色信号に従つてその横断歩道の直前で停止することを信頼してそのまま進行することはむしろ通常のことであると考えられる。

これに対し、二村は本件交差点東側横断歩道東端の手前約33.8メートルで対面信号が黄色から赤色の表示に変わつたことが認められるから、その横断歩道の手前で停止しなければならず、また容易に停止できたのにかかわらず停止しないで進入し、交差点東側横断歩道東端を通過するときには、被告人の車両はすでに本件交差点北側横断歩道北端より約10.5メートル交差点内に進入していたことが認められるので、その進路を妨げてはならないのにあえて進入してきたものである。

以上のような両者の進行の態様を考えると、青色信号に変わつた直後とはいえ、23.3メートル手前の地点で変わつたのであり、その表示に従つて交差点を通過しようとした被告人に対し、二村のように交通法規に違反して進入してくる車両のあることを予見して、これとの衝突を避けるため左右を注視して進路を遮る車両の有無を確認し、安全を確かめて進行すべき注意義務を課すことは、他人の責任を被告人に強いるに等しく、交通の円滑をはかる見地からもいささか酷に失するものと言わざるを得ない。

もちろん、青色信号に従つておれば如何なる場合でも左右の交通の安全を確認する義務がないとすることはできないが、前記のような状況のもとにおいては、被告人が東西道路から交差点に進入しようとする車両があつたとしても、特別の事情が認められないかぎり、該車両は赤色信号に従つて横断歩道の手前で停止し、自車の進路を妨げるようなことはないであろうことを信頼して、左右を注視しないで交差点に進入することを一概に非難することはできない。仮に、被告人が、左右の安全を確認して進行したとしても、二村が赤信号を無視して本件交差点に進入してくることが予見できたのは、二村が交差点に進入した時点であると考えられるので、そうであるとすれば、その時点には被告人は衝突地点の約22.1メートル手前まで進行していたもので、そのとき直ちに衝突回避の措置を講じたとしても、これを回避することはできなかつたであろうことが認められるので、被告人に過失はなかつたものと解するのが相当である。

よつて、本件公訴事実については、被告人の過失を認めるに足る犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条により、被告人に無罪の言渡をする。(杉山国治)

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